教育

読売新聞「理科実験で体調不良続発、教員の知識不足指摘も」に対する批判と危惧

読売新聞「理科実験で体調不良続発、教員の知識不足指摘も」に対する批判と危惧

こんにちは、uru(@uru_)です。今回は2017年6月15日読売新聞の記事である「理科実験で体調不良続発、教員の知識不足指摘も」に対しての批判と危惧を個人的見解としてご紹介します

少々長いですが、これはとても無視できない問題だと考えました。

記事の全文

初めに該当記事を全文引用します。少し長いですが、後述するようにこの記事の構造にも注目していただきたいので、全文を載せます。

理科実験で体調不良続発、教員の知識不足指摘

中学校の理科の授業で、鉄と硫黄を化合して硫化鉄をつくるなどの実験中に生徒が体調不良を訴える事故が、5月に長野県内で3件相次いだ。

県内の多くの中学校で使用する教科書でこの時期、硫化鉄生成の実験を取り上げているために事故が重なったとみられる。一方、理科教育の専門家からは、若い教員らの実験に対する知識や技量不足を指摘する声も上がっている

県教育委員会によると、県内の公立中学校で2年生時に使用している東京書籍の教科書「新編 新しい科学 2」に沿って授業を進めると、例年5月頃に鉄と硫黄の化合実験をする学校が多いという。

実験は、アルミニウム箔はくを丸めた筒に鉄粉と硫黄の粉末を混ぜ合わせて詰め、筒をバーナーで加熱して硫化鉄を生成。磁石や薬品を使い、できた硫化鉄が鉄や硫黄と異なる性質を持つことを確認する。

その際、筒に隙間などがあると空気が入り、硫黄と酸素が結びついて毒性のある気体の二酸化硫黄ができてしまう。また、硫化鉄に薄い塩酸を加えると、有毒な硫化水素の気体が発生する。実験では、窓を開けて気体を吸い込まないようにするなどの注意が必要となる。

県警などによると、事故は5月19日に塩尻市で、25日に岡谷市で、31日には長野市で発生。3校で計26人が救急搬送された。いずれも生徒たちは班に分かれて実験を行い、窓を開けて換気をしていたとみられるが、発生した気体や煙を吸い込んで、吐き気やのどの痛みなどを訴えた。事故の起きた中学校の関係者は「実験が正しくできているか逐次確認するなど、細かい配慮を欠いていた」と話す

事故が相次いだ背景として、先輩教員から実験の注意点やスキルなどを教えてもらう機会が減っている、との見方がある。北信地方の女性教員(28)は「部活動などに忙殺され、放課後に先輩から指導を受ける時間が少なくなっている」と話す。「空き時間を使い先輩の授業を見学するなどして、独学で事故を起こさないための知識を深めるしかなかった」という

一方、筑波大の片平克弘教授(理科教育学)は「若手教員を中心に知識や技量が下がっており、教材研究や指導力不足が事故につながっているのではないか」とみる。「理科教員免許の取得に必要な物理や化学などの教科専門科目の履修数が以前と比べて少なくなっている」と指摘する

文部科学省によると、かつては中学校の理科教員(大卒)となるため、物理、化学、生物、地学の分野ごとに取得単位数が決められていたが、1998年の教育職員免許法改正で、実験を含めた4分野8科目で最低20単位を取ればいいことになった。「化学実験」は必須科目となっているが、教員によっては実験の経験が少ないまま、指導しているケースもありうる。

事故を受け、県教委は、実験は教員が行い、生徒はその様子の見学だけにとどめることも検討するよう、各学校に通知している

(2017年6月15日読売新聞)※赤字は著者による

個人的見解の前提

まず私の見解の前提として、私は、理科の観察・実験を行えば,理科を好きになったり得意になったりするとは言い切れない、という立場を取っています。

これは、納豆を食べたことのない外国人に対して納豆を食べさせれば好きになる、というのと同じぐらい乱暴な論理だと思うのでとても支持できません。

なので、私は「理科の実験をやるべきだ!」などと言いたいわけではないということはあらかじめご了承いただきたいのです。硫化水素による実験事故にしろ、納豆の初試食にしろ、やり方を間違えれば最悪一生消えないトラウマを植え付けかねません。

ですから、授業を行う前にはまず学ぶ相手の状況や文脈を事前によく知り、それに対して効果のありそうな教授・学習を用いた授業をデザインし、それを行うにあたって実験という活動様式が必要であるならば観察や実験は実施した方が良いだろうし、必要性が希薄であったり、あるいは明らかに安全管理ができないものであれば戦略的に自粛するのが筋でしょう

しかし、今回の読売新聞で報道された硫化水素事故に関する理科実験実施の検討に関する報道にはそういった部分が十分検討されているわけでもないのに、長野県教委が実験自粛(生徒実験から演示実験へ)を検討しているとも受け取れる内容になっています。しかも事故の原因について十分な検討も発表されないまま「若い教員の知識・技量の不足」だと結論づけているようにも取れます。

私はこの記事に対し、

  1. 「若い教員の知識・技量の不足」が本当に事故の原因か?
  2. 事故原因の因果関係が記者によって意図的に歪曲化されていないか?

という2パターンを想定して、批判的に読みとらなければならないと考えました。

「若い教員の知識・技量の不足」が本当に事故の原因か?

記事では、若手教員や大学教授が「若い教員の知識・技量の不足」を指摘しています。一見するともっともらしい気がしてきます。

しかし、これが仮に事実起こっているとしても、知識・技能不足と事故発生に”直接的な”因果関係があるかどうかについては考える余地があります。

というのも、子どもの安全衛生に対するリスクマネジメントという観点が不足しているのです。

理科教員の実験に対する知識・技能はあるに越したことはありませんが、事故は「教師」以外にも「生徒」「環境」という要因も関与すると考えられるため事故発生の可能性をゼロにすることはできません。

重要なのは、事故発生の要因を事前に洗い出すことができているか、情報を共有し、事前に講じることのできる処置を施しているかどうかです。

これらを理科の教員が責任を負うのは筋違いです。学校経営の責任者である管理職が負うもののはずです。

もし管理職が安全衛生をマネジメントしていれば、理科教員が作成した年間指導計画から実験の実施時期を特定し、事前に理科室の環境整備・危険箇所の確認・予備実験の確認等を理科主任と当該教員が安全衛生のチェックリストで行い、提出を受けて適切に処置を行っているかどうかを確認できます。その時、生徒の状況によっては演示実験もしくは実施しないといった柔軟な選択もできるでしょうし、場合によっては見守りでもう一人教員がその時間授業に出るという方法もあるでしょう。

これが毎度毎度の実験ならば,事務的負担が大きくやってられないでしょうが「二酸化硫黄や硫化水素を伴う実験」というピンポイントであれば実現できなくはないでしょう。

「若い教員の知識・技量の不足」は事故の一因としては十分ありうるでしょう。しかし、経験年数や研修・研鑽の有無を理由に末端の教員個人に責任を負わせるのは,組織運営としては最低です。責任は学校経営のマネジメントをするポストにいる者が負う。安全衛生を確保し、子どもの安全を守る、それが最優先事項であるのは言うまでもありません。

そして学校経営マネジメントの改善を図るのが教育行政である教育委員会事務局の本来の仕事です。

事故原因の因果関係が記者によって意図的に歪曲化されていないか?

ただし、私はこのニュースを読んだとき、長野県教委がマネジメントの観点を忘れているとはとても思えませんでした。

むしろ記者の主観によって事実が歪められている可能性を疑いました

個々の登場人物はおそらく「授業」という文脈の中で、理科実験の事故と安全性について取材に答えたにもかかわらず、最後の最後で文脈が「教育行政」にすり替わっており、あたかも理科教員の能力不足で実験を控えろとお達しがあるというように巧妙に印象を操作しているように見えます。

だいたい、取材で得た見解の取り出し方がおかしい。なぜ①事故当該関係者、②女性教員、③大学教授、④県教委なのでしょう。もし本当に理科実験の事故と教師の知識・技量の因果関係がありそのようなデータを③大学教授が持っていたとしたら,編集順序は①(事実)→④(事実)→③(データ)→②(現場の声)の順序の方が自然ではないでしょうか。その方が客観的だし、妥当性も高まります。

ところが実際は、①(事実)→②(現場の声)→③(指摘?)→(取得単位?)→④(事実)という順です。

一般的に考えて、大学で物化生地の単位をいっぱい取ったら、知識がつくでしょうか?しかも「化学実験」は必須科目だと言っている。

普通、経験値も必要だろうと考えるでしょう。

だから②(現場の声)が記事の中にある。しかし②は「先輩から指導を受ける時間が少ない」と言っており、「経験」のことについては何も書かれていない。「教員によっては実験の経験が少ないまま、指導しているケースもありうる」ともいっている。足りないのは知識・技量なのか、経験なのか、後半からはもうブレブレです

というか、記者自身の変な論理に片平先生の指摘をダシにしたことについては怒りすら覚えます。

かと言って、記事による事実の歪曲化を未然に防ぐのは難しかったかもしれません。ただ、長野県教も事前にできたことはあったかもしれません。

それは、記事を書かれる前に、記事を書くこと。つまり「広報」をうまく行うことによって県教委の検討や通知の意図を正確に発信することはできます

少し話は逸れますが、いじめ自殺などがあると、学校や教育委員会の対応の悪さが際立つような報道をよく目にします。遺族にしろ、教師にしろ、関係者は本当に疲弊します。

けれど、それらも悪いのは「対応」ではなく「広報」だと思います。メディアに対抗できるのは、メディアだけ。スピーディーかつ正確に、そして誠実にメディアへ情報発信することで印象を変えることができるはずです。

おわりに:教師だけでなんでも解決しようとするのはもうやめよう

記事の内容をどう読み解くにしろ、「安全衛生」と「広報」については課題意識が必要ではないでしょうか。

ただ、教師は安全衛生といった環境管理やジャーナリズムは全くの専門外です。得意でないことは、得意な人にやってもらうしかないのです。

時に教委の対応は、

教師特有の思考から発生するものがそのままメディアに出てしまい、いらぬ誤解を招くことが多々あります。そういうところは、学校に多様な人材を、と言いながら、実は教員自身が職業風土を守るために排他的になっている部分もあるかもしれません。

そこは本当に、マネジメントの問題です。今回の問題は理科教員の問題の範疇に留めておくべきではないというのが個人的な見解です。

今回、これだけ長ったらしく記事について見解を述べたのは、この長野県教委の対応について、記事を無批判に読んだまま他の自治体の教育委員会事務局が援用してしまうことを危惧したためです。

それこそ、理科教育を萎縮させかねない重大な問題です。

理科の観察・実験を行えば,理科を好きになったり得意になったりするとは言い切れない、と始めに書きましたが、使い方次第では他の教科では絶対真似できない魅力的な材料になります。理科の観察・実験のポテンシャルは高いのです。

これからも理科の観察・実験を安全に行い子どもたちの学習を魅力的なものになることを祈るばかりです。

ABOUT ME
uru
日常生活と科学をむすぶ、学びのデザイナー。新しいガジェットやギアが大好き。好きなことは読書、バイク、旅、温泉、アニメ鑑賞その他いろいろ。生活をよりシンプルに心地よいものへ変えていきたい。

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