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『電脳コイル』放送から10年以上経って変わったもの/変わっていないもの


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都市伝説によると、このブログの著書uru(@uru_)はAR技術の発展の行き着く先が『ソードアート・オンライン オーディナル・スケール』のような世界なのか、それとも『電脳コイル』のような世界になるのか、とっても気になるそうです。

しかしこの2つには大きな違いがあります。『ソードアート・オンライン』の各ストーリーには必ず人格破綻している人間がその世界を荒らし、事件を巻き起こします。しかし『電脳コイル』には個性の違いこそあっても人格破綻者はいない、ということです。

また、前者はゲーム世界としての要素が社会インフラに影響を与えている描かれ方をしているのに対し、後者は社会インフラの変化が子どもたちのゲームへと繋がっている描かれ方をしているという点から見ても対照的といえるでしょう。とはいえ、類似点も多い作品であることは間違いありません。

先日からAmazonプライム・ビデオで2007年放映の『電脳コイル』が見放題になったので、この際妻をハマらせるべく一緒に見始めたのをきっかけに、家族全員でまたどハマりしてしまいました。

そして改めて『電脳コイル』の世界と現実世界の未来を重ね合わせてしまったわけですが、10年経つと見方が少し変わってきました

今回はちょっと考えたその違い、特に社会が「変わったもの」と「変わっていないもの」について着目してみます

2007年『電脳コイル』が描いたAR技術が日常化した世界

『電脳コイル』が描く世界は、「メガネ」という通称で呼ばれているAR(拡張現実、物語上では「電脳空間」を見る)デバイスが社会インフラにまでなった世界。そこではパソコンやタブレットという類のものはほとんどなく、電話も文書作成もプログラミングも、信号機までもが拡張現実によって構成されています。

そこに登場する主人公・小此木優子(通称・ヤサコ)は大黒市という地方都市に引っ越し、漢字が違うもう一人のユウコ、天沢勇子(通称・イサコ)と出会い、電脳空間の中で起こる不思議な体験をする、というものです。

そして、科学技術や科学教育や科学コミュニケーションに関心のある人間なら必ず見るべき作品の一つと言えるでしょう。

特筆すべきは、この作品が生まれたのが2007年だということ。拡張現実という技術自体は1975年に発明された、ビデオプレイスというシステムが最初と言われており、SFの世界では「スタートレック」シリーズが最初だという見方をされているようです。SFが現実の技術発展に貢献する話はそれほど珍しくありません。

しかし『電脳コイル』には過去の技術や物語とは一線を画する特徴が多く見られます。社会インフラとして確立された技術として描かれていながら、その社会は近未来的どころかむしろ極めて普通である点。物語のキーともなる神社や廃墟など今の日本にもどこにでもありそうなものと融合しているということ。学校教育は相変わらずであること。子どもたちはメガネの技術を大人以上に使いこなすものの、その使い方の本質は極めて子ども的とも呼べるような幼稚さを秘めていることなどが挙げられます。

そして物語の終盤で描かれているのは、メガネという科学技術と人との繋がり、友情といったものです。

そんな未来?を描いた『電脳コイル』から10年はどのように変わったのでしょうか。

変わったもの:現実とゲームの関係

10年経って変わったのは現実とゲームの関係性ではないかと感じます。これだけを書くと『ソードアート・オンライン』的と感じるかもしれませんが、個人的にはむしろ『電脳コイル』的な方向に進んでいるような気がします。

『電脳コイル』が放送された2007年以後、スマートフォンが世界的に普及すると同時に、2009年登場した「セカイカメラ」を筆頭に、拡張現実という技術の一端が手を伸ばせば届くところにまで来たと言えるでしょう。

しかし、流行したかといえばそこまでは言えない。メガネに関しては2013年に「Google Glass」が登場した時には「いよいよ来たかっ!」と思いましたが、現実的にはまだ私は一度も使う機会を得ていません。社会インフラからは程遠いと言わざるをえません*1

一方、ゲームは「Ingress」、そしてその後登場した「ポケモンGO」の世界的ヒットは注目すべきでしょう。正確には「Ingress」は拡張現実ではありませんが、現実世界の位置情報そのものをゲーム要素として取り入れることで、そのゲームにハマった人々が実際に現実の世界(文字通り地球の上)を駆け巡る姿は『電脳コイル』で町中を走り回るメガネの子どもたちを彷彿とさせるものがあります。

さらに「Ingress」のポータルと呼ばれるエキゾチックマターの大半をポケストップ・ジムとし、現実世界を歩いてポケモンを集める「ポケモンGO」の大ヒット。制作会社が同じNiantic社ですから当然の流れかもしれませんが、これによってゲームが現実なのか仮想なのかの境目は曖昧になったように思えます。

あるイベント発生でみんなと戦うという点は『ソードアート・オンライン』的ですが、基本的な遊び方が『電脳コイル』的、揶揄すれば「徘徊」に近い感じです。

ただ、実際に長く遊んでいるのは子どもではなく大人だったという点は全く想像もしていませんでした。

変わらなかったもの:学校と行政

変わらなかったものという点で私が書こうとしているのは、『電脳コイル』の先見性の外れを意味するものではありません。逆に大いに当たっていたという意味での変わらなかったものです。それが「学校」と「行政」です。

学校については先述しましたが、『電脳コイル』の世界では「行政」も"内側からでは変わらないもの"として扱われています。

一見すると社会インフラの電脳化は行政によって行われているように見えますが、第1話から縦割り行政による管轄の違いと電脳空間の関係について揶揄する描写が見られます。また『電脳コイル』の世界で電脳空間を主に管理している郵政局という行政も、実はその裏にメガネ開発企業と強く繋がっている姿が描かれています。子どもたちが通う学校が夏休み明けにその企業のビルの最上階に設置されるという描写からも、その行政への影響力の強さを滲ませています。

この関係性に似ている作品といえば、私は『エヴァンゲリオン』シリーズを思い浮かべます。学校は相変わらず変わっていない、行政は特務機関ネルフのスーパーコンピュータ・マギによって進められている。権力の種類こそ違えど、フレームが非常によく似ています。企業が世界に大きな影響力を及ぼすという意味では『攻殻機動隊』などとも類似します。

SF作品が過去のSF作品にインスピレーションの影響を受けたり、受けなかったとしても類似してしまうことはあるでしょう。ただ、他の例と『電脳コイル』との違いは、最後に科学技術と人とのつながりを描いているように、何か「人間的に変わらないものがある」というメッセージが込められているように感じます。

おわりに:次の10年後には、どうなっているだろう

科学技術を社会に"普及させる"のは企業。しかし科学技術が新しくなっても本質的に人間はそれほど変わらない。このフレームはある種今後の未来を考えていく上で、重要なヒントになるのではないかという気がします

今回、「拡張現実」の定義やその意味範囲について何も触れていないので、読む人が読むと、正確性をかけた表現があったと思われます。今回の記事はあくまで私個人の、それも根拠の浅い話であることをあらかじめご了承いただければと思いますが、もし違う見方や意見があれば、ぜひ遠慮なくコメントで議論できれば幸いです。

あなたは、どう思いますか?ぜひご意見をお聞かせください。

*1:ただしメガネ型デバイスは完全に失敗したわけではなく、まだ成長の過渡期だというのが私の認識です。