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Learninghacker

知的で創造的な刺激を求めて

統計を度外視したアンケート調査がありもしない学校問題を創り出す。


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学校の中では日々いろんな出来事が起こる。

問題も起こる。

その問題をどのように解決するかが教員の力量を試されるときでもある。

 

直観,いわゆる職人の勘のようなものがはたらいて解決できることもある。

このような直観的思考の方が,当てになることが多い。

むしろ,下手にアンケート調査でも全校にしようものなら

妥当性も信頼性もない分析結果から,ありもしない学校問題を

創り出してしまうことがある。

 

この手の問題は,非常に厄介である。

 

統計知識もなく作られたアンケート調査ほど危険なものはない。

統計で起こる誤解には「第1種過誤」と「第2種過誤」がある。

第1種過誤は真である帰無仮説の棄却。ありもしない差をあると考えてしまう。

第2種過誤は真である対立仮説の棄却。あったはずの差を見逃してしまう。

仮説検定を用いた場合に起こりやすい読み間違いである。

 

けれど,

今回の記事で紹介するのは,そんな小難しい誤りではない。

もっと単純で,リテラシーの低い誤りである。

 

まず,学校現場の中で作成されるアンケートの多くは

質問項目の妥当性が低いものが多い。質問がそもそも悪いのだ。

 

その典型例は

「この授業は分かりやすかったですか?」

というもの。

 

そもそも教師が生徒に質問する時点で組織内権力が不平等なのだから,

「分かりやすかったか?」と聞かれて「分かり難い」と答えるには

それ相応の心理的ハードルがある。

実は全然中身のない授業でも,とたんに素晴らしい授業に早変わり。

まさに魔法の質問である。

 

しかし,たとえ質問項目が妥当でも,

グラフ化したデータを読み間違えたら意味がない。

 

過去に私が実際に経験した話だが,

ある学校に勤めていたとき,養護教諭の先生が

「本校の生徒は市内の他校生徒に比べて自己効力感がない」ことを問題視した。

そのとき使用された質問項目は心理尺度を引用しており,

妥当性はありそうだったが,「他校生徒に比べて」というのが問題だった。

数値は市内平均より0.1低い値だけだったのだ。

 

もし統計的検定をかけたら,まず有意差が出なかっただろう。

その疑問を数学と理科の教員が養護教諭にぶつけてみたが,

その意見は受け入れられなかった。

養護教諭の先生は縦軸が原点0から波線を超えて突然3.0,3.1・・・と続く

棒グラフを持ち出して「でも差はあるじゃない!」と言い放ったのである。

エセ科学が好んで用いるデタラメな棒グラフを

養護教諭は善意から創り出し,差を示そうとしてしまったのである。

結局それは校長の一存で問題として取り上げられることとなり

ありもしない「自己効力感低下」問題への無駄な対処が始まったのである。

 

無知という名の善意が問題を複雑化させる。

どれもこれも,統計知識の不足,というよりは

データを読み取るリテラシーの不足が招いた結果である。

 

数学や理科の教員はこの手の読み間違いに敏感である。

にもかかわらず,ありもしない問題の創出を防げなかったことが

過去5年で3回私はあった。

 

その原因は「善意」という名の免罪符である。

「子どもたちのためだから」,そう言って耳を貸さないのは

国語と体育の教員であることが多い(無論そんな人ばかりでもないが)。

 

その善意は,実際のところただの欺瞞である。

ありもしない問題に向かってコストを支出する代わりに

本当に横たわっている問題の解決を遅らせてしまうと可能性があるという

あまりに簡単なトレード・オフさえ気がつかない。

そんな相手がクリティカルな意見を自己否定と誤解することは造作もない。

存在しない問題の創造を防げないだけでなく

職場の人間関係まで悪化させるのだから,たまったものではない。

 

おわりに:止める力は最終的には長しかいない。

学校の中にある問題を解決するために

アンケート調査を行うこと自体を否定するつもりはない。

ただ,教職員も様々な背景を持っていることを考えれば

間違いを犯すこともある。

それを周囲の人間が修正すれば何も問題ないのだ。

 

しかし,最終的には決定権をもつ長(おさ)にかかっている。

マネジメントの手腕が問われる瞬間である。

 

が,残念ながらうまくいかないことも多い。

長が積極的に間違いを犯すことすらあるのが

統計を度外視したアンケート調査の誤解である。

 

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